上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


私が尊敬するピアニストである、アレクセイ・スルタノフ (1967.8.7- 2005.6.30)。

スルタノフがどのような演奏家であったのか、私のスルタノフの演奏体験、スルタノフ追悼コンサートなど、何度かこちらでご紹介させていただきました。

それらをまとめたものが、スルタノフ公式ページの「Memory of Alexei」のコーナーに掲載して頂けることになり、思い出にひたりながら、あらためて書き綴ってみました。
http://www.alexeisultanov.org/as_memories.htm

このコーナーでは、スルタノフの演奏や人柄に魅了された世界中の人々が、それぞれの思い出を寄せています。
その中には、エフゲニー・キーシンが書き綴った文も見られます(ロシア語)。

本当に観衆から愛された音楽家だったのだと、実感させられます。


今日は、掲載していただいた文の、日本語訳を載せてみました。想いがあふれ、長文となってしまいました。
”私のスルタノフへの思い出”を皆さんに読んで頂けましたら、とても嬉しいです!!



「Memory of Alexei」

アレクセイ・スルタノフは、今なお、多くの人々に深い感動を与え、勇気を起こさせ続けてくれる。
この天才ピアニストは、日本の聴衆にも、また、決して解くことのできない素晴らしい魔法をかけてくれたのだ。

アレクセイ・スルタノフが演奏し終わると、喝采とブラボーの掛け声が鳴り止まなかった。それは永遠に続くかに思えた。暗かった舞台が再び明るくなり、アレクセイは現れ、総立ちの観客に応えてアンコールを演奏した。
 それは私が初めて経験した1997年の大阪ザ・シンフォニーホールでの一場面だった。その時の私は、数年後に彼の追悼コンサートでピアノを弾く日が来るなどとは、少しも思わずに、盛大な拍手を送っていた。
 私が初めて彼の演奏を聴いたのは、彼が優勝した1989年のヴァンクライバーン国際ピアノコンクールのドキュメント映像であった。私は、この小柄な音楽家が自然に、ピアノと一つの完全な楽器となっていることが分かった。彼の演奏は、偉大なV.ホロヴィッツのようなカリスマ性があり、さらに人を魅惑する音色と、美しい叙情性と繊細さに加え、ピアノからほとばしるエネルギーがあり、それらはホール全体を支配していたのだ。彼のリスト:メフィストワルツ第1番、プロコフィエフ:ソナタ第7番ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番を聞いた時、私は、興奮して胸の震えを抑えることができなかった。その演奏は、当時、ピアノの学生だった私に衝撃を与えた。

 数年後、アレクセイ・スルタノフが、ショパン国際ピアノコンクールで勝ったというニュースは、たちまち我が国に広まった。彼は1996年に日本ツアーを行ったが、チケットは瞬く間に売り切れ、彼の生演奏を聞きたがっていた私は、苦い涙を呑まざるを得なかった。しかし夢が叶い、1997年にアレクセイ・スルタノフ大阪公演のチケットを手に入れることが出来た。さらに、幸運にも1999年東京公演のチケットも手に入れることも出来たのである。どちらのコンサートも、全く忘れられない一時だった。そして何も知らずに次の日本訪問を心待ちにし、2005年6月30日が悲しみの日になるとは思いもせずにいた。
 しかし世界各地の彼のファンは、永遠に彼を愛し続け、決して忘れなかった。彼らは、行動を起こした。日本のファンも彼を支持し続けたのだ。2008年から4回に渡って「スルタノフ追悼コンサート」が開催された。コンサートは彼を敬愛するボランティアの熱意で支えられた。

 私は、2008年6月30日と2010年8月7日の2回、ピアニストとしてコンサートに招聘された。親愛なる名手アレクセイ・スルタノフのために感謝をもって、ピアノを演奏することは、光栄なことだった。私は、彼が東京のホテルで即興で弾いた「アレクセイ・ソング」を連弾用に編曲し、妻あゆみと演奏した。そしてスルタノフが好きだったホロヴィッツ編曲のリスト:ハンガリー狂詩曲第2番やスクリャービンのいくつかの作品や他の作品を弾いた。妻と私は、ダーツァとアレクセイが初めて出会った幸せな思い出のためにコンサートプログラムを作り上げたのであった。
 その思い出とは、1986年のホロヴィッツの伝説となったモスクワ公演である。私たちはホロヴィッツのプログラムから選曲することにした。皆さんは、きっとモスクワ音楽院大ホールのツルツルすべる屋根の上での、彼らのおとぎ話を知っているだろう。

 彼の2004年にリリースされたライブ・イン・リガのCDに関して言うと(リガはダーツァ夫人が生まれたラトビアの首都)彼が病に倒れた後、彼の復帰を願ったファンによって作られた。私も喜んでCDの冊子にライナーノートを書き、協力させて頂いた。「アレクセイのために」という只一つの思いがそこにはあった。
 天才ピアニストのアレクセイ・スルタノフは、本当に聴衆に愛された。しかも、聴衆のために演奏するステージで彼は、その輝かしい能力を全部出し切っていたと思う。私は、病床から「ネバーギブアップ」の精神で復帰へ挑戦し続けた、彼の「音楽への情熱と献身」が広がることを願い、また将来の若い人々が、このようなファンの活動を通じ、彼の偉大な演奏の真価を見出すことを願っている。
 私は、彼のサインを見るたび、温かい笑顔を思い出す。スルタノフの思い出は、私のピアニスト人生にとって心の糧であり続けるだろう。
 
 最後に、いつまでも誠実に夫を愛し、彼女のアリョーシャ(アレクセイ)を支え続けてきた、ダーツァ・スルタノフ夫人に私の心からの感謝と敬意を表したい。
                              山口雅敏



にほんブログ村 クラシックブログ ピアノ(プロピアニスト)へ
にほんブログ村
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://masaplaypiano.blog122.fc2.com/tb.php/247-f3fe45d1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
現在の閲覧者数: